タダ働きの心理学 〜「考えている」ではなく「考えさせられている」?〜

いいですか皆さん。

人の善意につけ込んで労働力をタダで使おうとする。それは「搾取」です。

例えば、「友だちだから」「勉強になるから」「これもあなたのためだから」などと言って正当な賃金を払わない。このような「やりがい搾取」を見逃してはなりません。

(TBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』より)

 

2016年にヒットしたTBSドラマ逃げるは恥だが役に立つ第10話の一節です。

主人公・森山みくり(新垣結衣)は、商店街の仕事のボランティアを頼まれた際に、このように返答しました。

物語の第1話から一貫して、みくりは「働く」という事について真剣に悩んでいます。そして「誠実に働き、その対価をしっかりもらう」という、原理原則を大切にしている。だからこそ、ボランティアという形でオファーされた「無償労働」に対して毅然とした態度を取ったのです。

 

最近よく耳にしますね。「ブラック・バイト」や「ブラック・ボランティア」という言葉に代表される、「やりがい搾取」

あなたは、その経験はありませんか?

「自分とは関係ない話だから・・・」と思ったかもしれません。ですが、それはもっと身近なところに存在します。もしかすると、あなたも既に巻き込まれているかもしれないのです。

どういうことか? 一つ一つ具体的に見ていきたいと思います。

 

 

「タダ働きの心理学」とは?

私がそう考えたのは、佐藤優さんの最近の著書「官僚の掟」を読んだことがきっかけです。

ここでは「タダ働きの心理学」という興味深いワード出てくる。佐藤氏は、私たち誰もがお世話になっているAmazonのサイトの「レビュー」制度について、こう語っています。

新自由主義は人間の承認欲求を巧みに使っていくらでもタダ働きをさせる。その端的なのが、アマゾンの読者レビューに見られます。「ベスト500レビュアー」「ベスト1000レビュアー」などの特別なラベリングをすることで、「世の中に影響力を与えている」という承認欲求を満たしているのだと思います。その「タダ働きをさせる」ことが新自由主義の一番の特徴でしょう。しかも、AIがそれを加速している。このとき最大限に利用しているのは、人間の心理にある承認欲求だと思います。(佐藤優官僚の掟 競争なき「特権階級」の実態』より)

官僚の掟 競争なき「特権階級」の実態 (朝日新書)

官僚の掟 競争なき「特権階級」の実態 (朝日新書)

 

(※本書は元官僚の視点から「官僚のメカニズム」を分かりやすく描いた良書です。気になる方はぜひ。)

 

Amazonで商品レビューをする人は、誰かに命じられてそうしている訳ではありません。あくまでもボランティアです。しかし明確に、それによってAmazonのサービスのクオリティが維持されているという側面がある。Amazon側はそれを良く分かっているからこそ、そのインセンティブの火を絶やさないよう、様々な仕組みを用意しているのだと思います。

 

これと同じ仕組みが埋め込まれているのが、Facebookなどでよくある「顔認証」です。写真をアップロードすると、「xxさんをタグ付けしますか?」と出てくる仕組みですね。

数学者でAIに詳しい新井紀子さんは、コンピュータの画像認識の技術を仕上げるには、人間が手作業で「画像のタグ付け」作業を行う必要があると解説します。

私たちが写真をコンピュータに保存するとき、それにどんなタイトルをつけるでしょう。たとえば、「真理ちゃんの3歳のバースデー」「海水浴」のようなタイトルでしょうか。しかし、「イチゴ ケーキ 人間 女の子 ろうそく フォーク」とか「水 海 空 岩 浜 人間」といった情報を書き込んだりはしないでしょう。だって、見ればわかることですから。人間にとっては、画像データという形式と、「イチゴのショートケーキ」「浜」という意味をつなぐことはわけもないことだからです。けれども、コンピュータにとって一番難しいのはこの部分なのです。(新井紀子コンピュータが仕事を奪う』より)

AIやコンピュータは、意味を理解しないのです。画像はあくまで画像でしかない。そのため、「この画像はイチゴなんですよ」という画像と意味の結びつけを、人間が手作業でしなければならない。これが「タグ付け」の作業です。これが蓄積されることによって初めて、コンピュータは「画像認識」というスキルを手に入れることができるのです。

 

では、その「タグ付け」の作業をしているのは誰なのか。

実はそれも、私たちユーザーなのです。

ここに「タダ働きの心理学」の一例を見ることができます。新井さんは「Alipr.com」というウェブサイトを例に挙げ、ユーザーがタダ働きをしていることを説明しています。

(ここで言う「Alipr.com」を、 「Facebook」など皆さんの身近にある写真のサービスに置き換えて考えてみて下さい)

そうなのです。Alipr.com は、ユーザーにサービスを提供しているように見えて、実はユーザーに、無報酬で画像のタグ付けをさせるためのシステムなのです。また、それぞれの写真に評価をつけさせることにより、人間が持つ価値判断までも機会に学習させようとしていることがわかります。Alipr.comだけではありません。グーグルが提供しているウェブアルバムPicasaも説明、撮影、場所などのタグを付けることを奨励していますね。

このような無償のサービスは、目的があまりにあからさまだと、ユーザーにそっぽを向かれます(Alipr.comはそれほど人気のあるサイトとはいえません)。その一方で、ユーザーどうしがコミュニケーションする場をうまく設定したり、ゲーム性や射幸心をあおる仕組みを盛り込んだりすると、ユーザーはタスクだと気づかずに嬉々として働いてくれることが少なくありません。あるいは、ユーザーがそのサービスをより便利に使うためには、ある種の無償での作業が必須になるように仕組むのうまい手でしょう。(略)

現在、ウェブ上には多くの無償サービスやゲームがあふれています。それは、あなたのためを思って、親切心から無償提供されているのでしょうか。それとも、Alipr.comのように、あなたが親切にも、そのサイトのために無償でデータを入力してあげているのでしょうか。なかなか興味深いことですね。(新井紀子コンピュータが仕事を奪う』より)

私たちユーザーが情報を入力すればするほど、それがビッグデータとしての精度を増していく。だからこそ、そのサービスを作る側は、そのための「インセンティブ」を与えようとするのです。

こういう仕組みを利用したアプリやウェブサービス、身の回りに心当たりはありませんか?

 

誰かが「インセンティブ」を設計している

ここで大切なのは、こうしたサービスの裏側で、誰かが「インセンティブ」を設計しているという事実です。

先ほどのAmazonの例で言えば、ある人を「ベスト・レビュワー」と認定する事により、その人が書き込みを続けてくれる「インセンティブ」を作る事に成功している。

同じように、例えば冒頭のTBSドラマ『逃げるは恥だが役に立つ』の発言。

これは恐らく最近話題の「ブラック・バイト」などのニュースを下敷きにしていると思うのですが、経営者が「この仕事は確かに給料は安い(事実)。しかし、あなたの成長になる仕事でもある(インセンティブ)」という形で従業員を説得していく。そのストーリーが説得力を伴えば、その会社の人件費を抑えられるというメリットがあるわけです。

 

「ブラック・バイト」とまでは行かなくとも、インセンティブを設計する事で優秀な社員を集める/社員の生産性を高める」という成功例は多いでしょう。

有名な例では、「スターバックス」。たとえ時給がそれほど高くなくとも、スターバックスには優秀で意欲の高いバイトが集まります。その理由の一つが、スターバックスで働きたい!」という憧れを形成する事に成功していること。それだから、それほど高給ではなくとも、アルバイトのモチベーションを保つ事が可能となるのです。これは大学の経営学の授業でも良く登場するケースの一つでしょう。

blogos.com

 

転職に見る「インセンティブの綱引き」

ここで、もっと身近な例を挙げてみます。

最近、転職の広告が多いと感じませんか? インターネットでも沢山出てきますね。

その中には、「今の不安定な世の中。転職して、『本当に使える』スキルを身につけよう!」というフレーズも目立ちます。

 

最初に申し上げると、私自身は個人的には、上記の考えに「賛成」の立場です。

以前の記事でも書きましたが、今の世の中の流れを見た時に、「会社固有のスキルに安住しない」「成長環境に身を置く」という考えは、より重要性を増していくと思っています。これは私個人の考えです。

しかし、この「転職を礼賛する考え」に落とし穴はないでしょうか。再び本記事のはじめで紹介した、佐藤優氏の著書「官僚の掟」から引用します。

新自由主義社会で礼賛されるのは、競争の中で人を「追い抜く」ことです。それによって、自分だけ利益があればいいと考えるようになる。それだから、連帯も団結もあったものではない。統治する側が、ちょっとした飴をぶら下げれば、いともたやすく飛びついてくる。それはまさに「ヤル気の搾取」です。そうして徹底的に働かせて、過労で使い潰したら次の人を見つける。その永久運動です。

言い方を換えれば、それ以上には切り分けることのできない「アトム(原子)化」された人間たちは、個性がないから、代替可能なただの部品になります。そこには、かけがえのない一人ひとりの個性という発想がありません。あるのは消耗品という殺伐とした見方だけです。

ところが、人間は消耗品という形では、自分を認めたくない動物です。そこに着眼したのが、お客様に「ありがとう」と言葉をかけられることにやりがいを感じる、といった類のイデオロギー操作です。その実は低賃金搾取をしているわけです。数年前まで、そういう居酒屋チェーン店がいくつもありました。

これは新自由主義の中の、人間の承認欲求に訴えかける心理操作と言えます。つまり、そこで低賃金という、限りなく「タダ働き」に近いことを喜んでさせるという仕組みです。言葉を換えれば、「タダ働きの心理学」が活用されていることになります。(佐藤優官僚の掟 競争なき「特権階級」の実態』より)

 

転職を礼賛する側の、「どこでも通用する人材になれ!」という主張は、とても論理的な考えから導き出された一つの真実です。私もこれに賛成の立場です。そして今やその考えは一定の市民権を獲得しつつあります。

一方で、その考えの支持層が厚くなるのに伴って、明確に得する立場の人がいる。すなわち、それを受け入れる企業側の人たちです。例え高報酬では報えなくても、「圧倒的に成長しよう!」と呼びかける事で、優秀な人材が集まってくれたら、当然嬉しいと思うはずですよね。どことは言いませんが、上記のような考えを持つ転職者の受け皿になるような会社や業界に、皆さんも心当たりがあるかもしれません。

(あるいは人材会社も、「転職者の年収の2-3割を紹介料として企業から受領する」という手数料ビジネスが基本となっています。「売上=手数料×転職者数」となる訳です。ここで言う「得する側」に入るかもしれませんね)

 

佐藤優氏の、イデオロギー操作によって低賃金・低待遇を正当化できる」という論考は傾聴に値します。彼は様々な著作を通して、一貫して新自由主義的な価値観に否定的なスタンスを取っていますが、 私たちも毎日メディアで目にしている「世の中の新常識」に対して、健全な懐疑心を持っておいて損はないでしょう。

「転職は良い事だ!」という考えは、実はあなたが「考えている」のではなく、「考えさせられている」のかもしれない。

 

あるいはこの「イデオロギー操作」は、逆サイド、つまり「社員の転職を防ごう」と考える既存の大企業にも実行可能です。多くの大企業では、新人研修において、「創業者の精神」から始まり会社のDNAをしっかりと叩き込まれるのが通例です。

ビジネスモデルの変化に遅れをとり、業績は下降し、以前のような高給で社員に報えないかもしれない。そんな企業であっても、「社内神話」を醸成する事により、あるいは既にある「それ」を強化することにより、社員を会社に引き止めることが可能となるかもしれません。

(そういえば「武士は食わねど高楊枝」という言葉がありますね。あれも遠い昔に、誰かが何かの目的で作った言葉だったのでしょうか?)

 

インセンティブを設計するのは企業だけではない

最後にダメ押しで、もう一つだけ例を挙げてみましょう。外務省で外務調査局長を務めた評論家の岡崎久彦氏は、著書『戦略的思考とは何か』の中でこのような言葉を残しています。

個人の経済的福祉の代替になりうるということは国際政治で見逃してはならない点です。戦前の日本はそのよい例で、日本を相手にする国は次々に同じ誤算をくり返しています。(岡崎久彦戦略的思考とは何か』)

もはや説明は不要かと思います。「インセンティブを設計するのは、決して企業だけではない」、という事実は心に留めておいた方が良いでしょう。

(そういえば日本でも、「タダ働きをさせるのか」と話題沸騰中の国際スポーツイベントが、今から2年後に開催されるようなのですが、皆さんは心当たりはあるでしょうか?)

 

私たちの周りには、あらかじめプロセスされた情報に溢れています。

逆に一次情報をそのまま受け取る機会の方が、はるかに少ないのではないでしょうか。ニュースを聞く時も、何が重要であり、何が重要でないのか、あらかじめ仕分けされた情報を教えてくれた方がずっと助かります。何故なら私たちの時間は限られているからです。

限られた時間で効率良く情報収集をすることを考えると、こうした「プロセスされた情報」を受け取らないという選択肢は、現実的に考えにくい。「自分の頭で考える」というのは、かくも難しいことなのです。

 

「考えさせられている」への処方箋

こうした「誰かがあらかじめプロセスしてくれた情報」はとても強力です。メッセージは洗練され、私たちの右脳へとストレートに伝わってきます。それによって私たちは、「考えている」とナチュラルに錯覚してしまう。

 

それでは、そこから脱却する方法というのはあるのでしょうか?

 

一つは、それに対抗して左脳を鍛えるというアプローチです。「その考えが広まることによって得するのは誰か?」と、あくまでロジカルに検証していくのです。

それによって、借り物の考えから脱却することが可能となるかもしれません。例えば、「①『成長につながる!』という考えが広まる ⇒ ②するとブラック・バイトの経営者は得をするはずだ ⇒ ③イデオロギー操作?」という要領で、自分なりに身の回りの事象を考えていく事がこれに相当します。

得をするのは、特定の個人かもしれないし、企業かもしれないし、国家かもしれない。とにかく、自分なりにそのメカニズムを図解してみるのが効果的です。ここで言う「図解をするスキル」を身につけるためには、経営学をはじめとした社会科学の書籍を読み込む事が役に立つはずです。

 

もう一つは難易度がグッと上がりますが、あくまでも右脳を鍛えるアプローチです。すなわち、物語に対するリテラシーあるいは免疫を手に入れるというものです。ここで、小説家の村上春樹さんの言葉を引用します。

でも僕は思うんですが、小説のすぐれた点は、読んでいるうちに、「嘘を検証する能力」が身についてくるということです。小説というのはもともとが嘘の集積みたいなものですから、長いあいだ小説を読んでいると、何が実のない嘘で、何が実のある嘘であるかを見分ける能力が自然に身についてきます。これはなかなか役に立ちます。実のある嘘には、目に見える真実以上の真実が含まれていますから。

ビジネス書だって、いい加減な本はいっぱいありますよね。適当なセオリーを都合良く並べただけで、必要な実証がされていないようなビジネス書。小説を読み慣れている人は、そのような調子の良い、底の浅い嘘を直感的に見抜くことができます。そして眉につばをつけます。それができない人は、生煮えのセオリーをそのまま真に受けて、往々にして痛い目にあうことになります。そういうことってよくありますよね。(村上春樹村上さんのところ』より)

 

一つ目の方法とは異なり、二つ目の方法に明確なマニュアルはありません。しかし敢えて言うなら、優れた小説をたくさん読んでいく事がその糸口になるというのが私の考えです。例えば西加奈子さんの小説『サラバ!』は、「『考えさせられている』からの脱却」というテーマを考える上で、とても参考となる小説だと思います。主人公の姉の言葉を引用して、この記事を終わりとします。

「あなたが信じるものを、誰かに決めさせてはいけないわ」

西加奈子サラバ! 』より)