【読書】世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? ─ 経営における「アート」と「サイエンス」─(山口周)

ロジカルシンキングMBAは「時代遅れ」?

グローバル企業が世界的に著名なアートスクールに幹部候補を送り込む、あるいはニューヨークやロンドンの知的専門職が、早朝のギャラリートークに参加するのは、虚仮威しの教養を身につけるためではありません。彼らは極めて功利的な目的のために「美意識」を鍛えている。なぜなら、これまでのような「分析」「論理」「理性」に軸足をおいた経営、いわば「サイエンス重視の意思決定」では、今日のように複雑で不安定な世界においてビジネスの舵取りをすることはできない、ということをよくわかっているからです。

では、そのように考える具体的な理由はなんなのでしょうか?

 

この本を読むべきなのは、次のような人たちです。

その他、ここまでの文章を読んでピンときた!という人もぜひ読んでほしい一冊です。

 

この本のタイトルを見て、「いわゆる中身の薄い簡易な本だろう」と思ってしまうのは本当にもったいない。アートの世界、ビジネスの世界を生きる全ての人の必読書です。

 

 

 

アートの世界から見た、ビジネス・サイエンスの世界への違和感

まず初めに書いておきたいのが、著者の山口周さんの経歴です。

山口周(やまぐちしゅう)

1970年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部哲学科卒業、同大学院文学研究科美学美術史専攻修士課程修了。電通ボストン・コンサルティング・グループ等を経て、組織開発・人材育成を専門とするコーン・フェリー・弊グループに参画。…

一目見て分かる通り、「アート」と「ビジネス」のハイブリッドを体現するキャリアを送ってきたのが山口周さんです。

企業が抱える、様々な悩みや課題。それを改善するにはどうすれば良いのか、アドバイスをしていくのが、山口さんが身を置くコンサルティング・ファームのビジネスです。

このコンサルティングの現場では、誰が見ても立証可能な中立性を持つ科学的な言語、すなわち「サイエンス」の論理でアドバイスを行う事がポイントとなります。

そして出した結論が、事実と論理に軸足をおいたコンサルティングサービス、今日ではファクトベースコンサルティングアプローチと呼ばれるサービスの提供です。このアプローチであれば、サービスを提供するコンサルタントは、事実を収集し、集めた情報を正しく論理的に処理できる程度の知能があればよく、従って経験を持たない若い人でも提供することが可能ですから、採用とトレーニングによっていくらでも規模を大きくすることができます。

今日、コンサルティング業界は人員拡大を進めていますが、それでもなお、人材の質を一定に担保できています。なぜか。それは、コンサルタントの思考方法には「サイエンス」として体系立てられる定型的なルールがあり、それをインストールする事で最低限に機能する人材を育てる事が可能だからです。

しかし山口さんは、一見強力に思える「サイエンス」の方法論の弱点を指摘します。

しかし、少し長い目で考えてみれば、このアイデアには大きな問題があつことに気づくはずです。というのも、ファクトベースコンサルティングは、手法さえ学んでしまえば、一定レベル以上の知的水準にある人なら誰にっでも提供可能なサービスだからです。

マッキンゼーを代表とするファクトベースコンサルティングの提供価値は、本質的に「経営にサイエンスを持ち込む」ことであることは、すでに指摘しました。そしてまた、あらためて繰り返すまでもなく、サイエンスというのは言語化が可能であり、再現性があることが求められます。そしてこの二つの要件は、拡大再生産が可能であることを意味します。

書店に行けば「ロジカルシンキング」や「仮説思考」といった思考の技術を扱った本がたくさん出ています。

それをたくさんの人が学んだ結果、労働市場には「コンサルタント的な方法論」を持つ人材が、かつてよりも多く溢れてくる。すると必然的に起きてくるのが、コンサルタントの「値崩れ」です。

現在、コンサルティング業界は人員拡大を進めています。しかし、そこに所属するコンサルタント個人が、果たして市場価値を高められているのかどうか、再考する必要がありそうです。

 

正解のコモディティ化

そして今や、かつて価値あるものとして賞賛された、ロジカルシンキングなどの「正解を見つけるスキル」は、それが価値あるものとして普及していった結果、どこにでもある・ありふれたものになってしまうという、皮肉な結果が生まれてしまった。

山口さんはこれを「正解のコモディティ化」と名付けます。

なぜなら、過剰に供給されるものには価値がないからです。経済学では「財の価値」は、需給バランスによって決まることになります。「正解を出せる人」が少なかった時代には、「正解」には高い値札がつけられましたが、これほどまでに「論理思考」などの「正解を出す技術」を普遍化した結果、いまや「正解」は量販店で特売される安物、つまり「コモディティ」に成り下がってしまったわけです。

 

頭の良い人、論理的に正しい結論を出せる人には、今や希少価値がないし、それが差別化の要因になることはない。

だとすれば、もはや仕事の生産性(スピード)を上げ、少ない給料(コスト)で働くことに活路を求める他ない。

頭の良い人が、頭の良さを追求するが故にレッドオーシャンへと自分を追い込んでしまう。まさに皮肉な結果です。

以上をまとめればこういうことになります。まず「論理と理性」に軸足をおいて経営すれば、必ず他者と同じ結論に至ることになり、必然的にレッドオーシャンで戦うことにならざるを得ない。かつての日本企業は、このレッドオーシャンを、「スピード」と「コスト」の二つを武器にすることで勝者となった。しかし、昨今では、この二つの強みは失われつつあり、日本企業は、歴史上はじめて、本当の意味での差別化を求められる時期に来ているということです。

 ロジカルシンキングMBA的なハードスキルに価値がない、という訳ではありません。

それらは引き続き、必須のスキルとして求められる。しかし差別化の源泉にはなりえないという事なのです。

ならば差別化を実現し、真に必要とされる商品を作る・自分をプロデュースするにはどうすれば良いのか?そこで重要になってくるのが「アート」であると山口さんは語ります。

 

アップル製品がコモディティ化しないのは「アート」があるから

差別化の源泉をデザインやテクノロジーに求めるというのも一案です。

しかし山口さんはそれを否定します。なぜなら、デザインもテクノロジーも、サイエンスの力を用いれば、同じものを再現する ─ コピーする事が可能だからです。

いわゆるリバースエンジニアリングです。サイエンスの泣き所は、突き詰めると、リバースエンジニアリングが可能だということで、これは情緒的価値が求められる世の中においては、決定的な欠陥だと言っていい。

アカウンタビリティとは要するに「言語化できる」ということだ、とはすでに指摘しましたが、忘れてはならないのは、言語化できることは、全てコピーできるということです。これは「差別化」の問題を扱う経営戦略論において、なぜかほとんど言及されないポイントなのですが、今日の競争戦略を考える上においてはとても大事な点だと思います。

デザインは真似される。テクノロジーも真似される。そして真似されたその瞬間に、オリジナルのものは競争力を失ってしまうのです。

ならば絶対にコピーされないものとは何か?山口さんはその答えをアップル社に見出します。

本当に、アップルの中核的な強みはイノベーションなのでしょうか? いや、私はそうは思いません。

このように指摘する理由は実にシンプルで、アップルがイノベーションによって生み出した製品の数々は、あっという間にコピーされてしまったからです。もしアップルの強みがイノベーションにあるのだとすれば、コピーされた後にも競争力を維持し続けている理由を説明できません。

じゃあ、なんなのか?ということになるわけですが、私は、アップルという会社の本質的な強みは、ブランドに付随するストーリーと世界観にあると考えています。だからこそ、昨日も外観も似たり寄ったりの製品が世に溢れるようになった現在にあってもなお、その競争力を失っていない。なぜなら、外観もテクノロジーも簡単にコピーすることが可能ですが、世界観とストーリーは決してコピーすることができないからです。

スティーブ・ジョブズ氏は2011年に死去しましたが、彼の言葉や彼の生き様、彼の人生は広く私たちの心に残っています。

突き放した言い方をすれば、これはアップル社にとって何よりも大切な資産(アセット)です。何故なら彼の人生に体現された世界観やストーリーは1つの「アート」であり、それが故に誰にもコピーする事ができないからです。

www.youtube.com

アップル社の製品は、他社製品に比べて高価格です。けれども、アップル社のファンは、他社のスマートフォンに乗り換えたりしません。

その競争力を生み出しているのが、世界観やストーリー、つまり「アート」の力なのです。 

 

「アート」が「サイエンス」に負けずに輝くために

ビジネスの現場において必要なのは、サイエンス(論理的な分析)だけではありません。いわゆる現場のカンである「クラフト」も必要になってくる。サイエンスとクラフト、この2つの方法論が両輪となって、ビジネスは初めて上手く機能します。

ところが、美意識を司る「アート」は、ビジネスの世界において、得てしてサイエンス・クラフトに劣後してしまいます。なぜか。それは「アート」が直感に基づくものであり、それが故に「アカウンタビリティ」を持たないからだと、山口さんは語ります。

アカウンタビリティというのは、「なぜそのようにしたのか?」という理由を、後でちゃんと説明できるということです。

   サイエンス:様々な情報を分析した結果、このような意思決定をしました

   クラフト:過去の失敗経験をふまえた結果、このような意思決定をしました

ところが、アートに基づく意思決定というのは、後から説明するのが大変難しいわけです。

   アート:なんとなく、フワッと、これがいいかなと思って意思決定しました

過去の意思決定に関して、こんな説明をして「いいね、さすが」と言われるのはかつてのスティーブ・ジョブズくらいのものでしょう。実績もない経営者がこのようなコメントを株主総会で出したら、即座に解任動議が発動されることになりかねません。

資本市場においては、投資家に対するアカウンタビリティが必要となります。

大企業において「説明のための説明」「資料作りのための資料作り」が多い理由が、ここに見出せます。資本の大きさ故に(そして関係者の数の多さ故に)、アカウンタビリティが求められるからです。

アートとサイエンスとクラフトを横に三つ並べれば、アカウンタビリティの格差という問題が必ず発生し、アートは必ずサイエンスとクラフトに劣後することになる。一方で、サイエンスとクラフトを過剰に重視すれば、天才を組織に抱える余裕は失われ、組織は論理的かつ理性的に説明のできることにのみ注力することになります。

そして論理的かつ理性的な答えは、訓練を受けた人であれば遅かれ早かれ誰でも到達するので、その市場はやがて競合が乱立するレッドオーシャンとなり、そこで戦うためにはひたすらスピードとコストを武器にして、従業員を疲弊させていくしかない。これが、現在、多くの日本企業の陥っている状況です。

だとすると、いわゆる大企業において「アート」を力強く羽ばたかせるには、既存の組織構造を変化させていく必要がありそうです。

この問題を解決する方法は一つしかありません。トップに「アート」を据え、左右の両翼を「サイエンス」と「クラフト」で固めて、パワーバランスを均衡させるということです。

かつてのアップル社は、スティーブ・ジョブズというトップが製品の細かい部分までデザインをしていく、いわば「経営トップ=アートの担い手」という構造でした。

そしてもう一つは、大きな権力を持った経営トップが、直接に権限移譲する形でアートの担い手を指名するというガバナンスの構図です・ここでポイントになるのが、CEOがいわば直轄領のような形で、経営における亜−との担い手を指名することで、サイエンスとクラフトとのパワーバランスを均衡させるという権力構造です。通常の企業形態に慣れ親しんでいた人からすると奇異に響くかもしれませんが、これはシャネルなどのラグジュアリーブランドの経営ではごくごく一般的なガバナンスの形態と言えます。

これを実現するためには、CEOをはじめとした組織のエリートが「美意識」を身につけている必要があります。それができてこそ、既存の大会社の枠組みでも、アートが輝く仕組みを作ることが可能となります。