スランプを乗り越えるために試してほしい3つの考え方(村上春樹『ねじまき鳥クロニクル』)

小説から学ぶスランプの乗り換え方

「俺は思うんだけど、自分にとっていちばん大事なことは何かというのを、お前はもう一度よくよく考えてみた方がいいと思うよ」

 

誰にでも「スランプ」は訪れます。

何をやっても上手くいかない。何から始めれば良いのか分からない。人生は山あり谷ありを繰り返します。

 

その脱出方法を学ぶのなら、ビジネスパーソンなら自己啓発本・ノウハウ本を読むのが近道です。しかし視点を変えると、優れた小説からもスランプの脱出方法を学ぶことができる。

ここでは村上春樹さんの小説「ねじまき鳥クロニクル」の一場面から、その方法を考えてみたいと思います。

 

 

仕事を失い、妻を失った主人公のスランプとは

ねじまき鳥クロニクル」の主人公・岡田トオル(30)も、人生の底・スランプをさまよう一人です。

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編 (新潮文庫)

 

勤めていた法律事務所を辞め、妻のクミコと二人で暮らしていた主人公。ある日、飼い猫が姿を消したのをきっかけに、主人公の身の回りで次々と不思議な出来事が起こり、やがて妻のクミコが何も言わずに家を出てしまいます。

失意の底に沈む主人公に、クミコの兄・綿谷ノボルは厳しい言葉を浴びせます。

「君たちが結婚してから六年経った。そのあいだに、君はいったい何をした? 何もしていない──そうだろう。君がこの六年のあいだにやったことといえば、勤めていた会社を辞めたことと、クミコの人生を余計に面倒なものにしたことだけだ。今の君には仕事もなく、これから何をしたいというような計画もない。はっきり言ってしまえば、君の頭の中にあるのは、ほとんどゴミや石ころみたいなものなんだよ」

やがてクミコ本人からも「私の行方を探したりしないでください」という手紙が届きます。

まさにどん底、「スランプ」の極みです。 

 

損切り」も一つの手段

物語の中盤、失意の主人公に「奥さんの事は忘れて、ギリシアクレタ島に行こう」という誘いが掛かります。

「私たちはふたりとも、どこかから新しく何かを始めなくてはならないんです」、加納クレタは僕の目を見ながら言った。「そしてクレタ島に行くというのは、悪くない手始めだと思うんです」

「悪くないかもしれない」と僕は認めた。「かなり唐突な話だとは思うけれど、手始めとしては悪くないかもしれない」

スランプに陥った時に有効な方法の1つは「損切り」であり、「潔く撤退すること」です。失意の主人公の目に、クレタ島に行って第二の人生をスタートさせるという選択肢は魅力的にうつります。

僕が日本に残ってできることといえば、家に籠ってじっとクミコが帰ってくるのを待っていることくらいだ。(略)しかしそうすることで僕はどんどんすり減っていくだろう。もっと孤独になるだろうし、もっと途方に暮れて、もっと無力になっていくだろう。問題は、ここでは誰もぼくのことを必要とはしていないということだった。

職場でも住まいでも、今いる場所を変えてみる事は、スランプから脱出する有効な方法の1つです。

逃げることは恥ではない。上手くいかない時には、いたずらに過去に執着せず、思い切って「損切り」するというのも有効な手段です。全てのスランプを、乗り越える必要はない。

 

それでもなお、スランプを乗り越えたいのなら、どうすれば良いのか?

主人公が叔父さんに電話をすると、叔父さんから「ギリシアに行く前に、会って話をしよう」と言われます。

叔父はしばらく考え込んでいるようだった。「そのうちに、一度そちらに顔を出してみていいかな? 俺も自分の目でなんとなく様子を見てみたいんだ。しばらくそこにも行ってないしな」

「べつにいつでもかまいませんよ。用事なんて何もありませんから」

そして主人公は叔父さんから、「逃げるのは早い。まだできる事はある」とアドバイスされるのです。

ここでのアドバイスが、スランプに陥った主人公を救うきっかけになるのです。

 

《アドバイス①》困難は分割し、いちばん簡単なところから始めてみる

「ずいぶん考えてはいるんですよ。でもいろんなことがものすごく複雑にしっかりと絡み合っていて、ひとつひとつほどいて独立させることができないんです。どうやってほどけばいいのか僕にはわからない」

叔父は微笑んだ。「それをうまくやるためのコツみたいなのはちゃんとあるんだ。そのコツを知らないから、世の中の大抵の人間は間違った決断をすることになる」

「何から始めれば良いのか分からない」。

スランプに陥った時に、誰しもそう思った経験があると思います。叔父さんは迷う主人公に優しく声をかけます。

「コツというのはね、まずあまり重要じゃないところから片づけていくことなんだよ。つまりAからZまで順番をつけようと思ったら、Aから始めるんじゃなくて、XYZのあたりから始めていくんだよ。お前はものごとがあまりにも複雑に絡み合っていて手がつけられないと言う。でもそれはね、いちばん上からものごとを解決していこうとしているからじゃないかな。何か大事なことを決めようと思ったときはね、まず最初はどうでもいいようなところから始めたほうがいい」

主人公の叔父はラジオのアナウンサーを十年ほど続けた後、飲色店の経営者へと転身した過去を持ちます。銀座でカクテルの美味しいバーをいくつか開き、それらを全て成功に導いて経済的な成功を収めた才覚の持ち主です。

「俺のやってるのはもちろんたいした商売じゃないよ。銀座にたかが四軒か五軒店を持っているだけだ。世間的に見ればけちな話だし、いちいち自慢するほどのことじゃない。でも成功するか失敗するかということに話を絞れば、俺はただの一度も失敗しなかった。それは、俺がそのコツのようなものを実践してきたからだよ。他のみんなは誰が見てもわかるような馬鹿みたいなところは簡単にすっ飛ばして、少しでも早く先に行こうとする。でも俺はそうじゃない。馬鹿みたいなところにいちばん長く時間をかける。そういうところに長く時間をかければかけるほど、あとがうまく行くことがわかっているからさ」

スランプに陥ると、目の前の当たり前の事がおろそかになりがちです。

そんな簡単なところから、何かを変え始めてみてはどうか?叔父さんのアドバイスは、経営者にだけではなく、私たちの普段の生活にも当てはまります。

 

《アドバイス②》自分の目でものを見れているか?

ここで叔父さんは、自分のビジネスである飲食業を例にとり、「新しく店を出す時に、何から考えるべきか?」と主人公にクイズを出します。

僕は少し考えてみた。「まあそれぞれのケースで試算することになるでしょうね。この場所だったら家賃が幾らで、借金が幾らで、その返済金が月々幾らで、客席がどのくらいで、回転数がどれくらいで、客単価が幾らで、人件費がどれくらいで、損益分岐点がどれくらいか・・・・・・そんなところかな」

「それをやるから、大抵の人間は失敗するんだ」と叔父は笑って言った。

普通の経営者であれば、新しいビジネスを始める時に、入念な試算を怠りません。けれども主人公の叔父さんは、それよりも大切なことがあると語ります。

「俺のやることを教えてやるよ。ひとつの場所が良さそうに思えたら、その場所に立って、一日に三時間だか四時間だか、何日も何日も何日も何日も、その通りを歩いていく人の顔をただただじっと眺めるんだ。何も考えなくていい、何も計算しなくていい、どんな人間が、どんな顔して、そこを歩いて通り過ぎていくのかを見ていればいいんだ。まあ最低でも一週間くらいはかかるね。(略)でもね、そのうちにふっとわかるんだ。突然霧が晴れたみたいにわかるんだよ。そこがいったいどんな場所かということがね。そしてその場所がいったい何を求めているかということがさ」

著者の村上春樹さんは、作家になるより前、早稲田大学の在学中に夫婦でジャズ喫茶を立ち上げて成功させた「起業家」の一人です。

実はこの叔父さんの方法、村上春樹さんがジャズ喫茶を開く時に実際にやった方法だと、別の著書で語っています。店を開く前に、候補地の前に座ってひたすらに通行人の顔を観察し、「ここで店を開いて成功するか」を見極めていたといいます。

言わば自分の体験談を、叔父さんの言葉に乗せて語っているわけです。

「俺はね、どちらかというと現実的な人間なんだ。この自分のふたつの目で納得するまで見たことしか信用しない。理屈や能書きや計算は、あるいは何とか主義やなんとか理論なんてものは、だいたいにおいて自分の目でものを見ることができない人間のためのものだよ。そして世の中の大抵の人間は、自分の目でものを見ることができない。それがどうしてなのかは、俺にもわからない。やろうと思えば誰にだってできるはずなんだけどね」

スランプに陥った時に役に立つのは、誰かのアドバイスです。書店に行けばたくさんの自己啓発本があり、インターネットで検索すれば「⚪︎⚪︎するための⚪︎個のコツ」というタイトルのサイトがあふれています(この記事もその1つです)。

しかし、主人公の叔父さんはそれを否定します。

あえて情報を遮断する。本を脇に置いて、スマートフォンの電源を切る。

そして自分の目で見て、自分の頭で考えること。目の前の景色を、虚心坦懐に理解すること。時にはそれが、停滞した状況を打破するきっかけになります。

 

あなたにとっての「目の前の景色」とは何でしょうか?それをもう一度、見つめ直してみるのはどうでしょうか?

 

《アドバイス③》時間をかけることを恐れてはいけない

「俺は思うんだけど、お前のやるべきことは、やはりいちばん簡単なところからものごとを考えていくことだね。例えて言うなら、じっとどこか街角に立って毎日毎日人の顔を見ていることだろうね。何も慌てて決める必要はないさ。辛いかもしれないけれど、じっと留まって時間をかけなくちゃならないこともある」

多くのものごとを成功させる上で、スピードは重要なカギとなります。PDCAをどれだけ早く回し続けられるか、世の中にはそうしたノウハウが沢山溢れています。

しかし主人公の叔父さんはアドバイスしたのは、その真逆でした。スランプに陥っている主人公に必要なのは、行動をせず、時間をかけてものごとの本質を掴み取ることだと語ります。

「お前がクミコと結婚したのはいいことだと俺はずっと思っていた。クミコにとってもいいことだと思っていた。それがどうしてこんな風に急に駄目になってしまったのか、俺にはもうひとつうまく理解できないんだよ。お前にもうまく理解できていないだろう?」

「いませんね」

「だとすれば、何かがはっきりとわかるまで、自分の目でものを見る訓練をした方がいいと思う。時間をかけることを恐れてはいけないよ。たっぷりと何かに時間をかけることは、ある意味ではいちばん洗練されたかたちでの復讐なんだ」

「復讐」と僕は少し驚いて言った。「なんですか、その復讐というのは。いったい誰に対する復讐なんですか?」

「まあ、お前にもそのうちに意味はわかるよ」と叔父は笑って言った。

人生には、小さな試練もあれば、大きな試練もあります。

この内、自己啓発本・ノウハウ本を読んで乗り越えられるのは、小さな試練だけなのでは?というのが私の考えです。

 

小説を読んでも、毎日のビジネスや日常生活に直接的に役立つことはありません。

しかし優れた小説には、世の中の本質が浮き彫りにされています。そして人生の転機が訪れた時に真価を発揮する事があります。

もしあなたがスランプに陥っているのなら。「ねじまき鳥クロニクル」の叔父さんの言葉が、そのヒントになるかもしれません。

 

その後の物語の展開

この叔父さんとのやり取りは、全3巻ある同書のうちの2巻のラストに登場します。

クレタ島へ行き、第二の人生を送る──そう考えていた主人公は、叔父さんのアドバイスを受けて、考えを改めます。自分の目でものを見る、真相に迫る決意をするのです。

 

そして3巻からは、失われた妻・クミコを取り戻す、主人公・岡田トオルのリベンジが描かれ、物語はクライマックスへと向かいます。

「表面的に見れば、これは馬鹿みたいに単純な話なんだ。僕の奥さんがどこかで男を作って家出した。彼女は離婚したいと言っている。綿谷ノボルの言うように、そんなものはたしかに世間によくある話だ。あれこれ余計なことを考えずに、君と一緒にさっさとクレタ島に行って、すべてを忘れて新しい人生を始めればいいのかもしれない。でも実際には、これは見かけほど単純な話じゃない───僕にはそれがわかっている。君にもそれはわかっている。そうだろう? 加納マルタにもそれはわかっている。たぶん綿谷ノボルにもそれはわかっている。そこには僕の知らない何かが隠されている。僕はなんとかしてそれを明るいところに引きずり出してみたい」 

気になった方は是非、「ねじまき鳥クロニクル」を読んでみて頂ければと思います。

 

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