【読書】村上さんのところ(村上春樹)

他人の人生経験を、自分のものにする

でも大変だったけど、楽しかったですよ。この仕事をしていてつくづく実感したのは、世の中にはバルク(嵩)が大事な意味を持つものごとがあるんだな、ということでした。

(↑読者から寄せられた37,465通のメールを前にして)

 

人が一生のうちに経験できる事は限られています。

 

色々な事にチャレンジしたい。色々な景色を見てみたい。けれどもそれら全てを実現する事は時間的に不可能です。

そんな時でも、読書を通してそれを代理体験する事ができる。それが本を読む楽しさです。

 

例えば、不倫をすることはできないけれども、不倫をする人の気持ちを文章を通して追体験することはできる。

難病に罹ることはできないけれども、難病に罹った人の気持ちを文章を通して追体験することはできる。

特に人生相談は、本の向こうにリアルの人がいます。その人の考え、その人の物語を文章を通して代理体験する事で、少しずつ自分の視野が広がっていく。

それがこの本を読む楽しさです。ここでは質問・回答を10個だけダイジェストで取り上げてみます。

 

作家の村上春樹さんは、早稲田大学の在学中に結婚、そして学生でありながらジャズ喫茶を開き成功を収め、その後作家としてデビューを果たしたという波乱万丈な人生の持ち主です。

彼ならではの独自の人生哲学が、質問への回答を通して垣間見えます。リラックスして楽しく読めて、けれどもタメになるアドバイスがたくさん含まれた一冊です。

村上さんのところ (新潮文庫)

村上さんのところ (新潮文庫)

 

 

 

質問1:お店をやっていたときの哲学

村上春樹さんがジャズ喫茶をしていた時に大切にしていた「哲学」は何ですか?という読者からの質問。この返答が興味深いです。

村上春樹)お客の全員に気に入られなくてもかまわない、というのが僕の哲学でした。店に来た十人のうち三人が気に入ってくれればいい。そしてそのうちの一人が「また来よう」と思ってくれればいい。それで店って成り立つんです。経験的に言って。それって小説も同じことなんです。十人のうち三人が気に入ってくれればいい。そのうちの一人がまた読もうと思ってくれればいい。僕は基本的にそう考えています。そう考えると、気持ちが楽になります。好きに好きなことができる。

「いい人」は「どうでもいい人」という言葉もあります。

例えば仕事でも友人関係でも、「全員と仲良くしなくたっていい」、そう思うと、すこし肩の荷がおりる思いがしますね。

 

質問2:体重を減らす三つの方法

ダイエットがしたい!という17歳の女の子。村上春樹さんならこうアドバイスします。いたってシンプル、正攻法です。

村上春樹)17歳でダイエットをしているんですか。たいへんですね。体重を減らす方法は三つあります。三つしかありません、というべきか。だからダイエット本なんて読む必要ないんです。とてもシンプルなことです。

①食べ物を減らす(適正な量にする)

②日々適度な運動をする

③恋をする

最後のやつはけっこうききますよ。がんばってくださいね。でもくれぐれも拒食症になったりしないようにね。

 

質問3:子どものやる気を引き出すには

中学生の子どもに口うるさく注意してしまう!という44歳の主婦の方の相談。子育てに悩んだ時には、ぜひ思い返したいアドバイスです。

村上春樹)子供への親の期待が大きいと、子供には負担になります。むしろ親が自分自身に期待するようになれば、子供もまねをして自分自身に期待するようになるのではないでしょうか? 親がまず自分を磨かなくては、と僕は思います。単なる私見に過ぎませんが。

 

質問4:自分の「これだ!」を見つけたい

19歳の浪人生から寄せられた、「自分が本当にやりたいことがまだ見つからない」という質問に対する村上春樹さんの答え。

僕は思うんですが、本当にやりたいことというのは、あなたがそれを見つけるよりは、向こうがあなたを見つけることの方が、可能性としては高いのではないかな。僕の場合もそうでした。僕が「小説家になりたい」と思ったのではなく、向こうが「村上くん、小説を書いてみたら」と持ちかけてきたのです。そういうことは多かれ少なかれ、遅かれ早かれ、あなたの身にも起こるかもしれません。それを見逃さないようにすることも大事です。下手をすると見落としてしまうから。いつも目をしっかりと開け、耳を澄ましていること、それが大事です。そうすればそのうちにきっと何かが見つかると思いますよ。

19歳の質問者だけでなく、大人になっても、そういう気持ちを抱えたまま、多くの人が毎日を過ごしているのではないでしょうか。

そんな時は、「いつも目をしっかり開け、耳を澄ましていること」。それが大切になってくるのかもしれません。

 

質問5:100パーセントの女の子に出会えましたか?

(読者)私は『カンガルー日和』の中の「4月のある晴れた朝に100パーセントの女の子に出会うことについて」という短編が大好きです。

村上さんは、今までの人生の中で、100パーセントの女の子に出会ったことがあったと思いますか?

村上春樹)いいえ、ないと思います。でも「なにも100パーセントじゃなくたっていいじゃないか」と思わせる女性に会ったことはあります。そういうのもまた素敵なものですよ。

恋愛でも、仕事でも、100パーセントの相手に巡り会えることはそうそうありません。

だからこそ大切なのは、気の持ちよう、なのかもしれませんね。

 

質問6:まっとうな含羞を抱えて

(読者)店先のワゴンにどっさり積んで、派手なPOPで、店員総出の「村上春樹の新刊⚪︎⚪︎、販売してま〜す」(リフレイン)

小説を読む行為とは隠微なものだと思います。発売初日に欲しいけど、もう少し普段通りに、こっそり買えたらいいのに。

これを読んで、正直「自分はそんなこと気にしないけれど…」と思ったものの(笑)、この質問に対する村上春樹さんの返答がナイスでした。

村上春樹)しかし僕らはまた、好むと好まざるとにかかわらず、資本主義の世界に生きています。そして本を製作し、流通させ、販売するという作業は(それによって作者と読者が結ばれるわけですが)、巨大で冷徹な経済機構の一部に組み込まれています。僕は冗談で「村上春樹インダストリー」と読んでいますが、ときどき冗談とばかりも言えなくなることもあります。(略)

ただわかっていただきたいのは、何があろうと僕はどこまでも常に村上春樹という生身の一個人であるということです。僕は「インダストリー」とは無縁なところでひとりぼっちでこつこつと(せつせつと)小説を書いています。それが本当いうかたちになる時点で、やむを得ずインダストリアルになってしまうということです。しかしそれを読むあなたもまたひとりの生身の個人です。途中で何があったとしても、最終的に僕の生身とあなたの生身が触れあうことができたとしたら、それはひとつの大事な達成であろうと僕は考えていますが。お互いまっとうな含羞を抱えたまま、この世界を無事に乗り切っていきたいものですね。

芸術産業に関わる人なら、誰しもがこうした理想と現実のせめぎ合いに直面します。村上春樹さんのような一流の作家も例外ではありません。

それでも、芸術の伝え手と受け手、それぞれの心が触れ合えるのなら、それは価値あるものではないか。救いのある言葉です。

 

質問7:人はなぜ物語を欲するのか

(読者)私には5歳になる息子がいますが、これが毎日毎日絵本を読んでくれとせがんできます。

そこでフト思ったのですが、子供だけでなく大人や老人も含め、人はなぜ物語を読みたがるのでしょうか。

小説や絵本のみならず、テレビドラマ、映画、マンガ、アニメ、演劇などなど、世の中は物語にあふれています。人はなぜ、こんなにも物語を欲するのか。疑似体験がしたいのか?共感しちのか?考えると不思議です。

村上さんはどうしてだと思いますか?

フィクションの世界には、意味がないのか。

もし意味がないとしたら、確かにこれほどまでにフィクション(物語)が沢山溢れていて、人がそれを望んでいるという事はありえないでしょう。なぜ人は物語を欲するのか?

村上春樹)僕らは何かに属していないと、うまく生きていくことができません。僕らはもちろん家族に属し、社会に属し、今という時代に属しているわけなんですが、それだけでは足りません。その「属し方」が大事なのです。その属し方を納得するために、物語が必要になってきます。物語は僕らがどのようにしてどのようなものに属しているか、なぜ属さなくてはならないかということを、意識下でありありと疑似体験させます。そして他者との共感という作用を通して、結合部分の軋轢を緩和します。そのようにして、僕らは自分の今あるポジションに納得していけるわけです(あるいは納得できない人は納得できるポジションに向けて進んでいきます)。それが物語の持つ大事な機能のひとつであると、僕は基本的に考えています。もちろん物語にはそればかりでなく、ほかにもいくつかの大事な機能がありますが、とりあえず。

少し難しい文章ですが、これを読んで、「なぜ小説を読みたくなる時があるのか」、自分なりに答えを出すことができた気がします。

 

質問8:結婚の決め手は何でしょうか

「結婚の決め手はなんだと思いますか?」との質問に対する答え。なかなか奥深いです。

村上春樹)僕の考える結婚の基準ですか?とても単純です。「この人と一緒にいたらぜったいに退屈しないだろうな」と思えることです。どんなに素敵な人でも、どれほどいろんな条件が揃った人でも、「退屈だな」と感じたら、まずやっていけません。退屈なのってきついですよ。これはもちろん僕の個人的な見解に過ぎませんし、異論もあるとは思いますが。

 

質問9:感受性の磨き方を教えてください

(読者)こんにちは、私は演劇に関わっていきたい女子大生です。村上さんの作品は語感や言葉選びが素晴らしいものばかりだと思いました。そこで今まで表現するための感受性をどのようにみがかれましたか?

18歳の女子大生からの質問。村上春樹さんは、「感受性を身につけるには、痛い思いをして身体で覚えていくしかない」と語ります。

どんな痛い思いか?それは人によってそれぞれに違います。ひとつだけ言えるのは、気持ちよく生きて、美しいものだけを見ていても、感受性は身につかないということです。世界は痛みで満ちていますし、矛盾で満ちています。にもかかわらずきみはそこに、何か美しいもの、正しいものを見いだしたいと思う・そのためには、きみは痛みに満ちた現実の世界をくぐり抜けなくてはなりません。その痛みを我が身にひりひりと引き受けなくてはなりません。そこから感受性が生まれます。

痛みと引き換えに、感受性が生まれる。今、辛い思いをしている人へ送るメッセージと言えるかもしれません。

 

質問10:つまらない文学よりビジネス書を読め!

(読者)先日、仕事場の休憩中に村上さんの小説を読んでいたら、そこに顔を出した社長に「つまらない文学を吸収する暇があったらビジネス書を読め!」と叱責されました。

この社長は、3年前に親会社から単身赴任で子会社の社長になった一言で言うと「エリート」なのです。

小説を読んでも、実生活に役立たないのか。それに対する村上春樹さんの返答が素敵です。少し長いですが、丸ごと引用します。

そうですか。たしかに文学ってあまり実際的な役には立ちません。即効性はありません。実におたくの社長のおっしゃるとおりです。言うなれば、なくてもかまわないものです。そして実際にこの世界には、小説なんて読まないという人がたくさんいます。というか、むしろそういう人の数の方がずっと多いかもしれません。

でも僕は思うんですが、小説のすぐれた点は、読んでいるうちに、「嘘を検証する能力」が身についてくるということです。小説というのはもともとが嘘の集積みたいなものですから、長いあいだ小説を読んでいると、何が実のない嘘で、何が実のある嘘であるかを見分ける能力が自然に身についてきます。これはなかなか役に立ちます。実のある嘘には、目に見える真実以上の真実が含まれていますから。

ビジネス書だって、いい加減な本はいっぱいありますよね。適当なセオリーを都合良く並べただけで、必要な実証がされていないようなビジネス書。小説を読み慣れている人は、そのような調子の良い、底の浅い嘘を直感的に見抜くことができます。そして眉につばをつけます。それができない人は、生煮えのセオリーをそのまま真に受けて、往々にして痛い目にあうことになります。そういうことってよくありますよね。

(結論)

小説はすぐには役に立たないけど、長いあいだにじわじわ役に立ってくる。

作家の佐藤優さんは著書の中で、「小説家は人生の専門家である」と語っています。まさに名言です。

小説を通して、何人もの人の人生を追体験する事でこそ、「生煮えのセオリー」に足をすくわれる事なく、本質を見誤らない人生を送る事ができる。私はそう解釈しています。

 

(おまけ)

中にはしょうもない?質問・回答も多いです。

(読者)作家以外でやってみたいなと思う職業はありますか?

村上春樹)僕は『スター・ウォーズ』のチューバッカみたいな仕事をしたいなと前から思っています。ハリソン・フォードのとなりで「うぉー!」とか「むおこぉー!」とか叫びながら、帝国軍とばしばし戦う。あの人、たぶん確定申告とかしてないですよね。いいなあ。楽しそうだ。

真剣な質問もウケ狙いな質問も、たくさん混ざって473通分。リラックスして楽しく読める一冊です。