【読書】「ズルさ」のすすめ(佐藤優)

弱者のための自己啓発本

私が読者にすすめるのは、ほんの少しだけ「ズルさ」を身につける事だ。

 

自己啓発本=意識高い系のためのもの」なのでしょうか?

みなさんの周りにも、いわゆる「意識の高い」人がいると思います。平日は深夜まで身を粉にして働いて、休日も自分磨きに余念がない。

あえて誤解を恐れずに、「意識の高い人」と「(それほど)意識の高くない人」がいるとしましょう。この時、後者の「意識の高くない人」は、ビジネス本を読む必要はないのでしょうか?

この本の魅力は、「意識の高くない人」のために書かれたものであるということ。言うなれば、徹底的に社会的弱者の目線に寄り添ったアドバイスに溢れている自己啓発本なのです。

結局、人生にとって大切なのは、「いかに負けるか」ということなのかもしれません。自分を見失わないように、上手く負けることができるか。

佐藤優さんは今や押しも押されぬ人気作家。 しかし、外務省勤務時代に「国策捜査」の一環で逮捕・投獄されたという挫折経験の持ち主でもあります。

そんな彼からは、「組織のトップを目指せ!」というマッチョなアドバイスは出てきません。

競争に疲れたら、無理に身も心もすり減らす必要はない。世の中の理不尽さを、どうすれば上手く切り抜けられるか。その実践的な処世術が詰まったこの本は、「意識高い系」の人も含めて、全ての人とって役に立つ一冊です。

 

世知辛い世の中を生き抜くための技法

これからグローバルな競争社会が進めば、残念ながら組織の「軍隊化」はさらに進むでしょう。表向きは組織のフラット化、個性の尊重などと言われるかもしれませんが、専門能力や技能を持っている人、数字という結果を出す人以外は、より厳しい環境の中で働かざるをえなくなる可能性が高いのです。

いわゆる「労働力のコモディティ化」、古くはマルクスが言うところの「労働力の商品化」が進む。そうなると上下関係の序列の中で、組織の一員として自らの自由を犠牲にする場面が増えると考えられます。

佐藤優さんはかつて外務省で国際情勢の分析を専門としていました。それが彼の言葉の重みにつながっています。

自分の人生を自らコーディネートし、プロデュースする必要があります。そう言うと難しく聞こえるかもしれませんが、要は自分の10年後、20年後のイメージを明確にすることで、自然とその方向に思考と行動が向くはずです。

経理でも営業でも、その方法で自分なりに方法論を確立したら、社内レポート作成したり、場合によってはブログで発言したりして、それをアウトプットし発信する。それによって、少しずつ周囲に認知されながら副業的な仕事をこなし、手ごたえを感じたところで独立、その分野のコンサルタントや講師になる。そんな生き方も一つの選択肢でしょう。

これは、いわゆる自己啓発本に多い「成功しよう!」と煽るようなメッセージではなく、むしろその逆です。佐藤優さんはあくまで「弱き者」の目線に寄り添ってアドバイスをしています。

趣味の肩書を持つというのもいいでしょう。仕事と関係のない肩書は直接本業に役立たないかもしれませんが、会社とは別の集団や組織に属し、別なヒエラルキーの中に自分を置くことができれば、そこでの人間関係が自身につながり本業にもプラスに働く可能性があります。(略)

あるいは副業なども、今はネットを通していろいろなものを販売できるので、比較的簡単に始めることができる。自分が自由にできる世界を持ちながら、収入も複線化することができます。精神的にも経済的にも余裕ができることで、職場でのストレスなどへの耐性が強くなるでしょう。(略)

逃げるという意味では、会社を休んでしまうというのも手です。(略) 無理に出社しストレスに身をさらしてうつ病になってしまうより、仮病でもズル休みでもして適当に肩の力を抜いてしたたかに仕事を続けてくれる社員の方が、会社としてもありがたいはずです。

誰もが社会的に成功できるわけではない。では残りの人は自己啓発本など読まなくても良いかというと、そうでもない。

そこで佐藤優さんがこの本で語っているのが、『ズルさのすすめ』です。 世知辛い世の中で、いかに生きていくべきか、この本の中にはそんなヒントが盛り沢山に詰まっています。

 

問題から目をそむけない

そうでなくても、人間は「問題」を直視したがらない生き物です。問題を見なければ怖くはない。本来敏捷なはずの猫が道路で車に轢かれるのは、恐怖のために目をつぶってしまうからだと言われています。

言われてみればその通りです。

確かに野良猫の俊敏さがあれば、車から逃げる事は本来容易にできるはずです。それでも恐怖を前に目を閉じてしまい、致命的な事態に陥ってしまう。

人間も、猫と同じ動物です。きっと同じようなメカニズムが、私たちの中にも組み込まれています。

人間は大きな問題、重大な問題に直面するほど楽観主義に陥ります。「なんとかなる」「たいしたことはない」と根拠のない自信を持つ。というより、そうしないと不安になってしまうのです。(略)

三者から見たら明らかにまずいという状況でも、当事者の本人は意外に平気な顔をしていることがあります。これは本人が鈍感だったり厚顔無恥だったりするからではなく、危機的状況に対して防衛心理が働いている可能性が大きい。

みなさんの周りに、似たような人はいませんか?思い浮かべてみてください。

働いていると、失敗やトラブルは付き物です。そんな時に大切なのは、最悪のシチュエーションから目を背けないことです。

 

正しい論点を設定できているか?

たとえば「ウサギのツノの先は丸いか?それとも尖っているか?」という問題があったとします。みなさんはどう答えますか?もちろんウサギにはツノなど生えていません。問題自体がナンセンスなのですが、これに真剣にとり組むとおかしなことになってしまいます。

頑張って仕事をして、意気揚々と上司に成果物を出したら、「こういう事がしてほしかったのではない」と突き返される。つまり最初に設定していた論点が間違っていた。そんな失敗の経験は、誰しもあると思います(単に上司が無能なケースも多そうですが…)。

ビジネスパーソンにとって、どれだけ仕事の生産性を高めても、間違った問題を解けば間違った答えしか出てきません。この「解くべきではない誤った問題」の事を、佐藤優さんは「擬似問題」と名付けます。

ファッションの流行なども、かなりの部分が業界や広告代理店などが仕掛けたものです。今年は赤が流行だとマスコミを通じて一斉に流す。すると、それを知った消費者は赤を身につけないと時代遅れになってしまうと感じ、あわてて赤い色の服を買いに走る。このようなことも一種の擬似問題だと言えます。(略)

擬似問題に一切かかわるな、ということではありません。頭のどこかで、これは擬似問題であること、本質的な問題ではないことを理解したうえで、どこかで一歩引いた目線を持つことが大切です。

営業の世界に「ホラーストーリー・ビジネス」という言葉があります。「みなさんはこれから大変なことになる」と脅した上で、「しかし大丈夫。この商品を使えば安心ですよ」とセールスにつなげていく。これも擬似問題の一種です。

あるいは社内の出世競争も同じです。会社はあえて内部に競争環境を作り出して、それを大きく演出する。そうすることで、従業員の視線を社内に集め、外の世界に目を向けさせないようにする。

世の中には、誰かが何かの目的で設定した「擬似問題」が沢山溢れています。みなさんにも心当たりがありませんか?

仕事でも、プライベートでも、正しい論点を設定できているか。擬似問題の本質を見抜くことで、過度な焦燥心に身をすり減らすことがなくなります。

 

失言を防ぐには教養を身につけること

たとえば相手に対していきなり「お前、ウソをつくなよ」と言ったらケンカになる。でも「お互い正直にやろうぜ」と言ったら角が立たないでしょう。言わんとしていることは同じですが、相手に与える印象はまったく異なります。

佐藤優さんは職業作家であり、言葉のプロです。

彼の著作を注意深く読み解くと、誰かを敵に回しそうな主張をする時でも、「炎上」を未然に防ぐような、「角が立たない」言葉の仕組み─「レトリック」がしっかりと埋め込まれていることが分かります。

そして彼がすごいのが、「レトリック」と同時に「ロジック」をしっかりと両立させているということ。この技法には私たちも大いに学ぶことがありそうです。

ただし、表現ばかりに走って論理性がなくなると、これまた誤解のもとになります。かつて故渡辺美智雄政調会長アメリカのクレジット経済を評した、「アメリカの連中は黒人とかいっぱいいて、『うちは破産だ。明日から払わなくていいんだ』。あっけらかのかーだよ」という発言が大問題になりました。(略)

仮にもっと冷静に、論理的に言ったらどうだったか。「アメリカの信用経済、消費社会が異常に膨らんでいる。借金によって自分の欲望を過剰に満たすような経済はおかしいのではないか」と。

おそらく渡邉さんが本当に言いたかったのはこのようなことだと想像します。実際、その後アメリカはサブプライムローンの破たんでその矛盾を露呈しました。同じ主張でも、片や国際的な反発を買って外交問題にまで発展するのに対して、一方は先見性のある意見となる。言葉の選び方や話し方ひとつでまったく違う結果になるのです。

どうでしょうか。言い方ひとつでここまで変わる。とても分かりやすい例だと思います。

時と場所と言葉を選ぶ。これができれば失言はなくなります。適切な時と場所を選び、ロジックだけでなく最適なレトリックを交えて伝える。しかも偏った見方ではなく、バランスのとれた視点に立つ──。

結局、必要なのはそれらを総合して判断することができる「知恵」であり、さらに言うなら「教養」です。けっして知識の量や学歴ではありません。

なぜビジネスパーソンが「教養」を学ぶ必要があるのか。その答えの1つがここにありそうです。教養を身につけることで、他者に対する偏見や差別意識がなくなり、ひいては失言をしなくなるのです。

 

頭の回転の速さが落とし穴になる?

 何でも手っとり早くわかってしまいたいという志向が強い最近では、ビジネス書でも特にハウツー的な要素の強い本の方が売れています。すぐに役立つとか、すぐに効果が出るものを求めたがる。タイトルも「5分でわかる」「すぐに結果が出る」などのフレーズが多い。とにかく早く結果を出したい、世の中全体がせっかちに、功利主義的になってきているように感じるのは僕だけでしょうか?

私自身、ハウツー本が好きでよく読みます。

仕事の中で時短の工夫をして結果が出れば、当然嬉しく感じます。嬉しいからさらにテクニックを求めて読書を進める。

ところが佐藤優さんは、その流れに「待った」をかけます。時間に追われている現代人は、その負の結果として、人やものごとの本質を見抜く目を失っているのではないかと警鐘を鳴らします。

結局、人を見た目で判断するというのはショートカットするということです。できるだけ短い時間で効率よく判断しようとするわけです。(略)

制服もショートカットの一種です。学生服を着ていたら学生だとわかるし、警察官やキャビンアテンダントの格好をしていたらそういう人だとすぐわかります。社会が複雑化、情報化してくると、一人ひとりについてじっくり考えていてはとても間に合わない。そこで着るもの、見た目を統一してわかりやすくする。そうすることで安心感が生まれるという心理もあるでしょう。

でも、実はそこに落とし穴、盲点があります。実際にフィリピンや中東などではニセの制服で警官を装った犯罪が多発していると聞きます。ショートカットを逆手にとれば、見た目ですぐに信用させることができるわけです。

「人を騙す」仕組みがあるのは、こうした分かりやすい犯罪以外だけではありません。会社であれ国家であれ、似たような仕組みは、形を変えて身の回りに沢山潜んでいるのではないでしょうか。

どうすれば自分の目でものを観れるのか。佐藤優さんはその方法を、作家・五味川純平の小説のセリフの中に見出します。

そこで重要になってくるのが、「わかりがおそいってことは恥じゃない」ということ。見た目だけでは見えてこない本質を見極めるには、時間をかけなければならない。理解が遅いのはけっして悪いことではないという意味です。(略)

時間に追われる現代社会では、ショートカットで判断の時間を短縮することは避けられませんが、一方で対象をじっくり見極め、判断しなければならない問題や場面がある。そうしないと、僕たちはさまざまなトラップに引っかけられてしまうでしょう。

「今はまだ判断をしない」という判断ができるか。そしてそのための直感をどれだけ磨いておけるか。高度な内容ですが、忘れてはならないことです。

 

哲学・神学に裏打ちされた「生き残りの技法」

誤解しないでほしいが 、私は読者に狡猾な利己主義者になることをすすめているのではない。会社、役所、学校、世間などでは、適宜「ズルさ」を発揮して、ストレスを極小にする。そして、自分が本当に大切にする家族、友達、恋人とは、「ズルさ」や駆け引きを抜きにした、誠実な関係をもつ。複雑な世の中を生き抜いていくには、メリハリをつける必要があるということを伝えたいのだ。

佐藤優さんは外務省のロシア専門家として北方領土交渉の最前線で活躍した凄腕の持ち主。けれども政治闘争に巻き込まれ、逮捕・有罪判決が下り、社会の底辺まで追いやられてしまった過去があります。

仕事ができて、同時に弱者の気持ちが分かる。残念ですが、私たちの身の回りを見ても、そういう人は多くはなさそうです。 

そして佐藤優さんが稀有なのは、哲学・神学の知識の豊富さです。これがあるからこそ、この本を読み終えた時、私たちの中に前向きな気持ちが湧いてきます。

まず自由や平等が幻想にすぎないという現実を見極める。人間が組織をつくり社会をつくらなければ生きていけない以上、そこに属する僕たちは常に上下関係と権力構造の中で生きていかなければなりません。

では、自由や平等といった理想的な概念はまったく意味のないことなのかというと、けっしてそんなことはありません。ドイツの哲学者カントは、そういう現実があるからこそ、理想は理想として抱いておかなければならないと考えました。

世の中にはけっして実現不可能ではあるが捨ててはいけない、捨てることができない理想、理念がある。カントはこれを「統整的理念」と呼びました。人間にあって動物にないものは、まさにこの「統整的理念」だというのです。(略)

僕たちは自由や平等を求めながら、その実は上下関係のしがらみから逃れることはできないアンビバレンツな存在です。ただし、それを見極めるところからしたたかさと強さ、そして実現は難しくても大切な理想があることを知る。そこで葛藤し、もがきながらも生き抜くこと。それが人間としての価値であり生きる強さなのです。

単に成功者になるための自己啓発本とは異なること。哲学・神学に裏打ちされた前向きな思想に満ちていること。

そこにこの本の救いがあります。